澤田智子
商売やお笑いで有名な「大阪」ですが、実は「水」と深いかかわりがあることをご存知でしょうか。
大阪はかつて「難波津」と呼ばれる港を持ち、貿易の拠点となっていました。さらに、あの戦国大名・豊臣秀吉が大阪を首都にしようとした際、都市開発として多くの堀川や橋を作りました。そのため、大阪は「水の都」や「水都」と呼ばれていたほど水運に支えられた場所だったのです。
今でこそ「水」のイメージは薄れてまった大阪ですが、そのなごりは「地名」に残っています。大阪は、かつてその地にあった橋がもとになった地名が非常に多いのです。そこで、大阪の地名のもとになった「橋」にまつわる知識をクイズ形式でご紹介していきます!
Q1 「心斎橋」の由来はどれでしょう。
- ①「心斎」という名前の人が橋を架けたから
- ②その地にあった「心斎」という商店にちなんでいる
- ③「心を清める」という意味を込めている
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正解は①「心斎」という名前の人が橋を架けたから。
1622年に岡田心斎という人物が中心となって橋を架けたことから「心斎橋」と名付けられました。
現在は、大阪でも有数の繁華街として知られている心斎橋。「大丸」や「OPA」、「PARCO」などのショッピング施設が多く立ち並ぶエリアでもあり、多くの観光客が訪れるスポットです。かつてあった橋そのものは撤去されていますが、橋の一部分は復元されています。
Q2 「肥後橋」の由来はどれでしょう。
- ①肥後藩の藩士が建設にかかわったから
- ②「肥後」という苗字の人が多い地域だったから
- ③近くに肥後藩の屋敷があったから
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正解は「③」近くに肥後藩の屋敷があったから。
橋がかけられていた「西横堀川」という川の近くに、肥後・熊本藩の蔵屋敷(屋敷兼倉庫)があったためだと言われています。
「梅田」や「なんば」といった大阪の中心街からアクセスしやすい場所にある肥後橋。大手新聞社や電力会社などがある、オフィス街として有名です。現在も、場所は異なるものの肥後橋は残っています。ですが、当初に橋が架けられていた西横堀川は埋め立てられ、跡地には駐車場などが建っています
Q3 「高麗橋」の由来はどれでしょう。
- ①高麗人参の輸入が盛んな地だったから
- ②高麗(朝鮮の王朝)との貿易がおこなわれた地だったから
- ③高麗からの使者を迎えるために作られたから
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正解は「②」。
豊臣秀吉が町を作る際、当時の朝鮮王朝だった「高麗」との貿易の中心地だったから「高麗橋」と名付けられたとされています。ただし由来には諸説あり、高麗からの使者を迎える屋敷があったからという説もあります。
大阪府民以外からは少々なじみの薄い地名かもしれませんが、かつて呉服屋や両替屋が集中していた地域であり、「三井銀行」や「三越」の起源である「越後屋」の大阪店があった場所なのです。
ほかにも大阪には「四ツ橋」や「渡辺橋」、「天神橋」など橋がつく地名がたくさん。地名に込められた意味を調べるだけでも、大阪の歴史をたどることができますよ。